Today one step

関東産まれ、東北育ち、津軽住み転勤妻の暮らし。ASD娘との日々も。

受給者証の申請と、母の葛藤と

先日の発達外来、そしてその翌日に3歳児健診を受けた際に、外来ではソーシャルワーカーさんから、健診では発達支援員さんからそれぞれ『障害児通所支援』について案内をいただいて、いま利用申請の準備中です。今日はそのことについて書きたいと思います。

※この内容は自治体によって違いがあるかもしれませんので、検討中の方はお住まいの自治体の情報を参考にされてください。

通所やデイサービスだけじゃない、障害児通所支援の種類

娘がASDの傾向があると小児科で言われた頃、漠然と『療育は要るのかなぁ、追い追い考えることになるのかなぁ』と漠然と考えていました。今回説明いただいたり資料を見て、やっと理解できてきた感じです。

障害児通所支援は『児童発達支援』(いわゆる通所)の他に、

・未就学児の通う保育所等に専門員が訪問し専門的な支援を行う『保育所等訪問支援』、

・就学中の児童の授業終了後または休日に、生活能力向上のために必要な訓練や社会との交流促進等を行う『放課後等デイサービス』

という支援があることが分かりました。デイサービスも何となく聞いたことはありましたが、保育所等訪問支援はまったくの初耳でした。

利用を決めた経緯

結論としては、保育所等訪問支援の利用申請をする方向となりました。

3歳児健診でこだわり行動が出て発達支援員さんに声をかけられ、保育所等訪問支援を特に勧めていただき、

・保護者会で担任の先生に様子を聞いた際に『問題はないけど言いたいことを我慢しているかも』と仰っていて気がかりだった

・運動面での怖がり(ブランコや遊具で遊べない)が顕著に出ていた

・そして3歳児健診でのこだわりと切り替えの難しさ

などが頭に浮かび、今の気がかりを埋めてくれる良いサービスだなと思いました。

家に持ち帰り検討し、支援員さんに訪問し観察してもらってやはり問題ないで終わればそれで良いと思ったのと、親としても支援員さんと定期的に相談することができたら良いなということで利用の申請を検討することになり、申請の流れを教えていただきました。

申請の流れ(我が家のケース)

大まかに記すと、

・幼稚園に利用したい旨をお話し承諾を得る

・支援を受ける事業所を見学、面談

・病院に出向き診断書を依頼(←いまココ)

・必要書類を揃え自治体に利用申請、並行して事業所へ計画案を依頼

・支給、不支給の決定、通所受給者証を受け取り利用開始

こんな流れになりそうです。我が家の場合は園長先生にご相談して快諾いただき、事業所も決めて大丈夫ですよと言ってくださり、3歳児健診で声をかけていただいた支援員さんの所属している事業所に決めました。診断書も事前に先生に『利用するなら書きますよ』と言われていたので、手続き的にはあまりハードルは高くなかったです。ですが…

母の心のハードルが一番高かった

利用する制度は『障害児通所支援』。

支援員さんや小児科でも『利用が終われば返せばいいし、利用していても通常学級に進む子はたくさんいる』と言われるも、やはりまだスペクトラムを完全に受け入れてはいない(たぶん今も)ので、すんなりとは決められませんでした。

事前に実母や義母に相談すると『確かに育てづらいかもしれないけど、何も病院に行くまででもない。大丈夫だから』『障害児通所支援って、障害児として育てるってこと?私はやめたほうが良いと思う』と言われたり、身近な人にこぼすと返ってくる『そういうもんだよ』という声を思い出したり、事業所に相談に行った先での『私は正直分からない、そんなに困ってないし、子どもってそんなものと思ってまして』という夫の言葉に腹立たしさを覚えたり、私の器の狭さ、度量の問題だと突きつけられたような気がしました。

そして、私自身も私に対して…他の人にとって見たら何でもないようなことを病院に相談して、この子、大丈夫?とあげつらって障害児にしているのかも…とも悩んだし、言葉も早いししっかりしているように見える(実は意味を分かって使えておらず、娘の中でASD傾向が最も出ている部分)ので、私さえ黙って工夫していればもしかしたらこの子は普通に生活していけるかもしれないのにという思いは、かなり強く私の葛藤としてありました。

自閉症スペクトラムは程度の軽い人や重い人もいるし、その特性も場面やできごとによって色濃く見えたり、薄くなったりあるいは見えなくなったりで、いったいどこに娘がいるのか、そして濃くなるのか薄くなるのか、なくなるのかもしれない。それを予見できないことに、もやもや感を拭えずに悩みました。

正解なんてない、将来を思いえがいて決めたこと

考えに考えた結果、私の度量の深さとか、障害者にするしない、自閉症の重さ軽さだとか、そんなことはどうでもよくなってきて、シンプルに考えられるようになれまして、

・小児科で発達支援の制度の説明を受けた

・発達検査でも話し方にASD特有の傾向があり、将来のコミュニケーションに不安があると言われた

・現在、私も実際に運動面や怖がり、こだわりに心配を感じる

・就学後や思春期の生きづらさを軽減するために今からできることはしておきたい

・子育てに不安があり、支援員さんと定期的にやり取りをし、相談したい

ということから、利用申請することにしました。

中でも、利用の決め手になったのは、生きづらさを軽くしたいという思いが大きい気がします。

この子の将来を思い描く時、ひとつだけ願っていることがあります。できるだけ『わたしはわたしのことが好きだ、得意不得意はあるけれど、こんな自分でもいいじゃない』と思っていてほしい。

将来、勉強や運動ができてもできなくても、学校に馴染んでも馴染めなくても、同じ年頃の友達がいてもいなくても、できるだけ自分のことは好きでいてほしいという思いが私にはあります。

私と娘とは違うという大前提がある上での話ですが、私は自分のことが大嫌いでした。今もその気持ちは私の中に残っていて、思春期あたりから生きづらさとして私を否定し続け、何かにくじけそうになったらわざとくじける方向に進んでしまったりして、なかなか挫折から立ち直れない人生を送っています(これは私の問題で、いつか何とかしなければなりませんが)。

娘には、いくら勉強や運動ができようと、こんな生きづらさはあまり強く感じてほしくない、もしくは自己肯定感を高めて乗り越えてもらいたいのです。これはASDがあるないにかかわらず、考えてきたことです。でも、そのように育てるにはどんなことに気をつけたら良いか正直分からないこともたくさんあり、借りられる手は借りようと思ったのです。ただでさえ、子育てにおけるメンターのような人はなかなか見つからないものです。

外野の声(悪意はないので勝手に揺さぶられているんですが)に揺さぶられることもありますが、誰もここまで娘のことを深く考え悩んでいません。もう、あまり気にしないことにしました。

たくさんたくさん考えて決めたことですが、巡り合わせのままに動いている部分もあります。これで良いのかと迷いながら手探り状態ですが、きっと正解なんてないし、なくても良いのだと思います。同じ程度、同じ困り感の育児で、同じような人の体験談をネット検索したりもするけれど、申請するもしないも、医療機関に相談するもしないも、決めかねて揺れている人も、色んな道があって当たり前でみんな最良の道をさがしている。それでいいんだと思います。

誰のためにもならないし、アドバイスにもならないし、格好良い結びにもならないのですが、申請へのきっかけと流れ、心境をここに書き記しておきました。また変化があれば、文字にしたいと思います。